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気仙沼にやってきました。 [旅行]

気仙沼にやってきました。昔の知り合いのすすめで『気仙沼大島のランフェスタ』に参加するためです。3.11震災以降、被災地の映像はテレビで見ていましたが、この機会に自分の目でその状況を確かめたくなりました。
大阪から2時間半、東京からは東北新幹線と在来線を乗り継いで4時間かけてたどりつきました。今回は妻と娘も一緒です。ここに来るためにGWはどこにも行かずにいました。

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気仙沼の駅を降りてすぐのホテルでしたが、駅前は震災の爪痕をみじんも感じませんでした。すこし休憩した後、海の近くに行ってみることにしました。海に近づくにつれて、ところどころ津波にあったんだろうなあという建物の跡があります。しかし、わたしには津波の影響はあんまり感じられませんでした。と思ったとき、タクシーのおじさんが話してくれました。「この辺に自分の会社もあったんですよ」。そうなんです。海沿いにはなんにもないんです。震災前は海沿いには、水産加工会社が軒を連ねていたそうです。がれきの処理が少しずつ進み、今は何もない状態です。だから、逆になにも感じなかったのです。

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夜は、昔の上司の山田さんと「復興屋台村」で合流しました。「屋台村」は付近の店舗を失った飲食店が集まった仮設の食堂街です。「はまらん焼き」という浜のもの(魚介)と卵のお好み焼きを出している居酒屋に行きました。通常レースの前日にはお酒を飲まないのですが、久しぶりの再会に少しだけビールをいただきました。壁には、震災直後に取材に来た有名人の写真が貼られていました。おかあさんが一人で切り盛りしていたのですが、僕たちの話を興味深く聞き入っていて、息子に聞かせたいとおっしゃっていました。会社の経営のことについて話をしていたのですが、息子さんが別の場所でお店を開いていて頑張って欲しいのだそうです。自ら被災しながらもやはり子供のことは気になるのですね。「復興屋台村」という名前から、わいわい賑わっているイメージを持って来ましたが、そんなことはなくのんびりと夜が更け、少し寂しい感じでした。考えてみると、もともとここはしずかな港町。これが地元の人の生活感なんですよね。復興、復興とマスコミは騒いでいますが、地元では地に足がついた心と生活の復興を一歩ずつしているような気がしました。

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久しぶりの再会に喜び、明日のレースは楽しむことに集中することにし、眠りにつくとしよう。さて、小学1年の娘はどのように感じたのだろうか?


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